かつて中国大陸に精強な74万もの日本陸軍が駐屯していた事実【太平洋戦争への端緒をひらいた関東軍の罪深さ】
前回ブログで、「関東軍」についてちょっと触れさせて頂いたのですが。
せっかくの機会なので、この「関東軍」という日本の歴史上、ちょっと異質な軍事組織について補足する記事を書いてみようかと思います。
その存在について殆ど知らないという方も多いのでは。
先の太平洋戦争の端緒を開いてしまうきっかけをつくった「関東軍」という存在。
「終戦の日」の今日、「文民統制」の大切さを知る良い機会だと思い、書きまとめることにしてみました。
関東軍のはじまり
まず、「関東軍」誕生の経緯から。
「関東軍」といっても、日本の関東地方を守る軍隊というわけではなく、中国大陸で確保した利権を守るための守備隊が前身だったんですね。
つまりは、中国における「関東」のことだったのです。
大日本帝国の中華民国からの租借地であった関東州(遼東半島先端)の守備、および南満州鉄道附属地警備を目的とした関東都督府の守備隊が前身。司令部は当初旅順に置かれたが、満州事変後は満州国の首都である新京に移転した(現在の長春市であり、司令部跡は中国共産党吉林省委員会本部となっている)。「関東軍」の名称は警備地の関東州に由来し(関東とは、万里の長城の東端とされた山海関の東側、つまり満州全体を意味する)、日本の関東地方とは関係ない
次第に強大化した関東軍
そんな「守備隊」として中国大陸に設置された関東軍でしたが、次第に組織が膨れ上がっていきます。
満州事変がそのきっかけでした。
満州事変とは、1931年、中国の遼東半島に駐留していた旧日本軍の一派である関東軍が主導となり、満州(現在の中国・瀋陽辺り)の利益を狙って事実上の日本の傀儡国家・満州国を建国した事件です。
ことの発端は満州にある柳条湖近くでの、満州鉄道爆破事件でした。いわゆる柳条湖事件といわれるもので、この頃満州にいた関東軍は、この事件の犯人を中国軍だとでっちあげたのです。
これを口実に関東軍は満州にある中国軍拠点を攻撃し、満州全土を占領して満州国を建国しました。満州の権益をより確実にしようと、はじめから画策していたのです。
出典:
関東軍の陰謀によって、中国大陸に「満州国」と呼ばれる傀儡国家が誕生することとなり、さらに大陸進出という野望のもと戦力が増強されていったのです。
北からソ連の脅威もあり、利権を守るための軍隊はどんどん強化されてゆきます。
当初、一個師団から始まった戦力が、いつの間にか14個師団を有するまでに増強された結果、その数74万人にまで膨れ上がったのです。
暴走を始めだした関東軍
恐ろしいのは、これが帝国陸軍の一組織に過ぎない関東軍の独断行動で始まったこと。
米英との対立や、ソ連を始めとする共産勢力との来るべく対決を見据えて、満州での利権を確保しようとした関東軍参謀が首謀者だったのです。
当然、軍人である以上、こういった独断行動は、通常であれば軍法会議で厳罰に処されるところです。
しかし、もはや帝国陸軍は、当時の内閣では押さえつけられないほどまでに政治の分野でも発言力を増していたのです。
その後、二・二六事件など、日本政府に対し不満を燻らせ、天皇中心とした体制を理想に掲げる陸軍の若手将校たちの決起を後押しする形ともなりました。
日中戦争から、やがて太平洋戦争へ
こうなると、もう世界進出の野望は抑えられないものとなります。
また、関東軍は満州事変以降は、中央政府の意向などおかまいなしに、独断で領土拡大を目指して軍事行動を開始し始めるのです。
次第に陸軍は、開戦派が優勢に。
こうなると、もう内閣では陸軍を抑えきることが出来ない状況に…。
やがて、慎重論を展開していた帝国海軍を陸軍が説得する形で、米英との対決姿勢が鮮明になっていったのです。
国際連盟が要求した「中国大陸からの撤退」などは到底容認できるはずもなく、国際社会からの孤立を深めることに…。
太平洋戦争開戦へと繋がっていった訳なのです。
最後に
遠い中国大陸の地で、いっとき総勢74万人という規模にまで膨れ上がった関東軍という組織。
あくまで帝国陸軍における「方面軍」にすぎない存在だった組織が肥大化していった結果、陸軍首脳部にも強い影響力を与えることに。
陸軍における最精鋭師団という肩書が、ひょっとしたら関東軍の暴走の原動力にもなってしまったものかと考えます。
しかし、軍部はおろか、「一方面軍」にすぎない関東軍が政府や軍司令部の判断を待つことなく、独断で対中政策に関わっていったことに驚きを禁じ得ません。
普通は、軍事とは完全なる「トップダウン方式」で成り立っていて、上官の命令に背くことは軍法会議による厳罰が避けれないものなのです。
近代国家と呼ばれる国で、こんなことが許された軍事組織がかつて存在したことがあったでしょうか?
そういった意味では、旧大日本帝国は、近代国家とは到底、程遠いものだったのでしょう。
貴重なお時間を割いて、このブログを読んで下さった皆様へ。
最後まで、お読みいただき誠に有難うございます。
このブログを機会に民主主義にもとづく「文民統制」をないがしろにすることが、いかに危険なことであるかをお分かり頂けたら幸いです。
2018.8.15