ogikubojinの日記

産前産後のケアでいらっしゃっている患者さんたちとのとりとめもない話

3.11から7年、世の中が絶望感でいっぱいだったあの頃を思い出して

f:id:ogikubojin:20180310111806j:plain

 

 

忘れもしません。

 

「あの日」から7年。

 

3.11東日本大震災から、早くも7年経つのですね。

 

 

人生でかつて、あれほどまでに絶望感に包まれた日々を過ごしたことがあったでしょうか?

ただ生きているだけで、あれほどまでに有難いと感じた日々があったでしょうか?

 

 

「今日」という日がいかに尊く、「明日」という日がいかに当たり前の存在ではないことを人生でこれほどまでに思い知らされた経験は、今もって他にありません。

 

 

突然の揺れでした。

東京で遭遇したのですが、あんな直感的に「気持ち悪い揺れ」だと感じたことは、あの揺れ以外には記憶にありません。

経験したことのない不自然に長い横揺れ

窓から見える電柱が、波打って見えたことが今でも思い出されます。

 

一瞬で、まさに世界が豹変してしまいました。

 

 

実は、2011年3月は、杉並区の子育て世帯向けの公的支援サービスである『すぎなみ子育て応援券』の整体・カイロでの使用の終了期限だったのです。

駆け込み需要があったのでしょうか、例年にないほどに混み合う3月だったと記憶しています。

なんせ4月からは、応援券が使えなくなってしまう訳ですから。

 

そこに何の前触れもなく起きた大地震

 

 

当然、患者さんたちは、整体院で骨盤矯正どころではなくなります。

ただでさえ生後1年に満たないお子さんを抱えてらっしゃる方たちばかりなのですから。

 

直後から、どっと始まった予約キャンセルの電話の嵐

地震の翌日からは、打って変わって閑散とした日々が始まったのです。

 

土曜、日曜は、まだ影響は少なめだったのですが、本来は託児所利用で賑わうはずの平日の昼間は、まさに閑古鳥が鳴く日々。

 

ほどなく始まった、福島第一原発の異常事態。

ちいさなお子さんを抱える方々は、競うように西日本を目指して避難されて行きました。

 

そう。街から、すっかり子どもたちが消えてしまったのです。

 

 原発の運転停止にともなう、計画停電の実施も記憶に新しいです。

自分が住んでいる清瀬市は、本当に電力供給を一時的とはいえ遮断されました。

 

ただでさえ電力供給がひっ迫していたので、おのずと世の中は節電一色ムードに。

証明を落としてしまったコンビニエンスストアほど、リアルに世相を暗示するものって他にあるでしょうか?

 

街中がとにかく暗かったことをよく覚えています。

ええ、もちろん僕も暗かったです…。

 

だって。

 

ひょっとしたら、関東はもう人が住める土地ではなくなるのかも知れないとか本気で考えましたから…。

 

それだけでなく。

 

日本自体が沈没しそうな時に、ふつう整体院なんかに通っている場合じゃないよな。

 

とか。

いろいろ脳裏をよぎったものです。

 

 

それでも、僅かながら都内に残ったお子さん連れの患者さんたちとは、いろいろ情報交換をしたものです。

水道水の危険も指摘されていたので、飲料水の確保ですとか、ホットスポットについての情報ですとか。

放射線量の測定を自主的になさっている方々についての話は、みなさん食い入るように聞いてらっしゃったのも思い出します。

 

 

西日本産の米や野菜を実家や親戚から送ってもらっていたという方も多かったですね。

それと、外遊びもさせないという方がほとんどでした。

 

あと、雨が降ってたら、絶対に外出しないという方もいらっしゃいましたっけ。

子どもに良くない雨水が付着することを極端に恐れる方々も多かったのですね。

 

きっと、子どもたちも、なんとなく重い空気を感じ取っていたはず。

 

今思うと、当時それでも整体院に通われていた方々というのは、少しでも人との接点を求めていたからなのかも知れませんね。

頼る身内がいなければ、疎開も出来ませんし。

 

それから数ヶ月くらいかけて、だんだんと世の中が平常を取り戻していったと記憶しています。

徐々に疎開されていた患者さんたちも都内の自宅に戻って来られて、院内もかつてのような賑わいを見せるようにまで回復。

 

 

そして、今となっては、よほど神経質な方でない限りは、放射性物質について過剰に捉える方も少なくなって来たかのように感じます。

 

 

7年が経ち、今あらためて考えること。

それは、今後どんなに大変なことが起きようとも、「あの日」ほどに絶望することなんてきっとないのだろうということ。

 

 

いつものように毎日、「普通」に仕事がある幸せ。

そして、いつものように「普通」に明日がやってくる幸せ。

 

この「普通」であることの幸せに改めて感謝し、噛み締めながら生きなくてはならないと考えるのです。

 

「あの日」に突然、予告も無しに「普通」を奪われてしまった方々のぶんも、我々は精一杯、今を生きなくてはならないのです。

 

 

2018.3.11